笠島の町並み 
笠島(根城)
地図


東小路の町並み
  丸亀市本島町は、瀬戸大橋の橋脚台の島与島の西の島である。
本島は塩飽諸島の政治・文化の中心の島で、古代から中世には、塩飽は塩つくりの地味な島であったが、戦国の世が到来すると、塩飽は大型船をもつ水軍として注目を集めるようになる。本州と四国が最も接近する備讃瀬戸を占めていたこと、伊予や安芸に比べ畿内に近いというのが有利な条件であった。
織田信長はいち早く塩飽を味方につけ、秀吉もその政策を受け継ぎ、徳川300年へと受け継がれている。信長の石山本願寺攻めに味方して、堺港へ出入りする特権を得た塩飽衆は、秀吉の島津攻め、北条攻め、朝鮮出兵での海上輸送の功労として、これらに携わった650人に対し塩飽諸島に1250石の領地が与えられた。「人名」の始まりである。これにより島民は軍役の義務を負ったが、特権的地位は保証された
以降、徳川幕府も同様にしたので、塩飽は御用加子(水夫)としての不動の地位を確立した。塩飽諸島は650人の船方衆の共有財産として、その中から選ばれた4人の年寄たちによって交代で政務が行われた。磨き上げた操船技術を生かす道が幕末にやってくる。塩飽船方衆が名をあげた咸臨丸の快挙である。万延元年(1860)に日本人の手で太平洋をはじめて横断した咸臨丸には、水夫50人のうち実に35人が塩飽出身の水夫であった。
塩飽諸島の発展は、正徳3年(1713)には戸数2026人・人数10723人を数えた。
笠島は本島の北東部に位置し、根城・山根・新在家・屋釜の4集落から構成されるが、一般に笠島と云われるのは根城を指している。根城は本島町笠島の東山(標高50m)にある中世水軍城(本島城、東山城)に対する城下町の呼び方で、後ろ三方を小高い山に囲まれ、通路がすべて鍵の手に曲折する迷路状をなしている。海岸線に並行して中の浦に達する道をマッチョ筋、その中央より南北に走る主要道路を東小路といい、他に中小路と呼ばれるものがあり、塩飽水軍の拠点であった昔の面影を留めている。
塩飽勤番所跡は入り母屋造りの重厚な長屋門である。秀吉が塩飽の船方衆650人に塩飽諸島1250石の領地を与えた時、船方の代表を勤めた4人を年寄といい、本島ではこの特別の身分を得た御用船方のことを「人名」という独特の言い方をした。
塩飽勤番所は4人の人名(年寄)が交代で勤務し政務にあたったところだ。勤番所は寛政9年(1797)に建てられ、文久元年(1861)に改築したものを、解体修理し公開しているものである。信長、秀吉、秀次、家康などの朱印状が保管されていて、いかに塩飽の人々が海上輸送に必要であったかがよくわかる。
笠島(根城)の町並みの範囲はメインストリートの「マッチョ通り」と東小路の交差したところに立つと、殆ど見通せる範囲にあるが、道路はカーブしていたり、T字路や喰い違い十字に交わっていたりして、いたるところに防衛上の配慮が見られる。笠島(根城)の集落には、伝統的建造物69棟のうち江戸時代の建物が13棟、明治時代のものが20棟ほど残っていて、どの家も修復されていて、殆ど完全な形になっているが、半数位は過疎のため空き家になっている。
公開されているのは真木家、小栗家、藤井家の三家で、真木家はマッチョ通りと東小路の交差したところにあり、江戸時代の建物で「笠島町並み保存センター」として公開されていた。屋号を戸屋という商家で、廻船問屋。主屋は片入り母屋造り、本瓦葺、中二階、黒壁の一列ナマコ壁で格子窓、平入りで室内の天井は低かった。
小栗家はマッチョ通りの西の方にあり、真木家同様に廻船問屋であって、「ふれあい館」として公開されている。屋号は「ふだば」という。江戸時代末期の建物で片入り母屋造り、本瓦葺き、中二階建て、黒壁、1階は親子千本格子、2階は小さな格子窓であった。外観の割に主屋は狭く、反面、物置や土間などの収納部を大きく取っていることは、この家がかって廻船問屋であったことを裏づけている。
公開されている三軒目は東小路にある藤井家で江戸時代に島役人を勤めた家で、自家に所蔵する古文書を展示した「文書館」として公開されていた。建物は入り母屋造り、妻入り、本瓦葺き、虫籠窓、格子であった。
町並みの建物は入り母屋、切り妻造り、低い中二階、本瓦葺、白又は黒壁、一階は親子格子で二階は小さな格子窓、平入りというのが一般的な町家の構えであった。 
町並み指数 70
参考文献   
  香川県の歴史散歩  山川出版社  香川県の歴史散歩編集委員会  1996年
  本島の歴史と文化  丸亀市立本島小学校  平成5年
  歴史の町並みを歩く  保育社  高士宗明  平成6年
  歴史の町並み事典  東京堂出版  吉田桂二  1995年
  角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会

笠島町並み保存センター

マッチョ通りの町並み

塩飽勤番所跡

マッチョ通りの町並み

東小路の町並み

東小路の町並み
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