今治市吉海町は愛媛県今治市の北東10kmの海上に位置する大島の西半分を占めていて、幸新田・八幡は吉海町の中心部で津倉湾に臨む吉海町の中心地である。 江戸期は今治藩領で、幸新田や八幡の平坦地は藩の手により八幡村の地先の干拓により元禄10年(1697)に成立したところ。村高は「元禄村浦記」・「天保郷帳」共に幸新田村は村名が見えず、八幡村は「元禄村浦記」では八幡新田村として107石余、「天保郷帳」では「古者名村・八幡新田村の2ヶ村として1,136石。「旧高旧領」では幸新田村は271石余、八幡村として124石余。 寛政4年(1792)の「島方村々改高戸数」では幸新田村の村高267石余・家数30、八幡村は家数29。 比較的大規模な水田を持ちながら生活は苦しく、文久2年(1862)には帆船5艘を有し海運業に、また多くのものが他領へ出稼ぎに出ていた。幸新田村は大島往還をはじめ、本庄・八幡・福田方面への交通の中心、また明治初期から今治と結ぶ海上交通の渡海船が就航し、次第に街村を形成し、明治以降は官公庁が集中して、旧吉海町の中心地区と成っていった。今でも大島の中心街であるが、「しまなみ海道」の開通に伴い、幸港の役割も少なくなり、町は寂れた様相を呈しているが、醤油醸造元の家屋が古い町並形成に大きく寄与していた。 愛媛県の地名 平凡社 下中邦彦 1980年 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和56年 |
吉海町幸新田・吉海町八幡の町並 |
吉海町幸新田・吉海町八幡の町並 |
吉海町八幡の町並 |
吉海町幸新田・吉海町八幡の町並 |
吉海町幸新田・吉海町八幡の町並 |
吉海町幸新田の町並 |
吉海町幸新田の民家 |
吉海町幸新田の町並 |
吉海町幸新田の町並 |
吉海町八幡の民家 |