伊方町田部は佐田岬半島の西部、瀬戸内海側でリアス式海岸の伊予灘に面した農漁村である。 江戸時代を通じて宇和島藩領。寛文年間(1661〜73)の「西海巡見志」によると、家数30軒、漁船4艘、加子数(主水数)15人とある。 この地方での一番の中心地は天然の良港を擁した三机で、参勤交代や通商の中継地としても利用されていた。佐田岬半島中一番重要な港として、宇和島藩の番所が置かれていた。また、藩主の参勤交代時に利用する御仮屋も置かれ、17軒の格式を誇る商家を中心に三机300軒と云われた町場が形成されていた。 さて、田部ですが、藩政期から続く農漁業の寒村であった。平坦なところの無い田部集落は全て傾斜地に家屋が建っている。この集落を訪ねたのは家が建ち並んだ町並みでは無く、傾斜地の集落を構成している石垣を見るためであった。扁平な緑色や茶色をした石を無造作に積み上げて石垣が造られている。 この緑色の石はこの近くで採れるものだろう。 集落内の細い道に沿って、単に無造作に積み上げただけの様に見える。コンクリートが接着剤として使われている訳でもない。 でも、この石垣はその石の間から生えてくる雑草や雑木を取り除かないと、石垣が崩壊する危険があるのは私の様な素人でも理解できる。無住になった家の石垣には雑草や雑木が石垣を覆っている。 家屋と同じで手入れをしないと、やがて石垣は崩壊する運命だろう。 石垣保存とは言わないが、集落の景観を守るためにも、石垣の雑草を取り除く手段を考えてもらいたい。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和56年 愛媛県の地名 平凡社 下中邦彦 1980年 |
田部の町並み |
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