仏生山町は法然寺の門前町として栄えてきた。 浄土宗の開祖法然上人が讃岐に流されたとき、那珂郡小松荘に生福寺を建立したが、天正年間(1573〜92)戦乱のために荒廃していたのを、初代高松藩主松平頼重が当地に移して法然寺とし、300石の寺領を寄進した。延宝元年(1673)には300石の寺領は幕府朱印地となった。創建当時は30余の諸堂があったといい、高松藩主松平家の菩提寺として威を誇った。 そして寺領の東部を門前町として整備し、地子・運上銀を免除する特権をあたえ、移住者を募った。城下の素麺屋が法然寺門前に集められるなどし、以来仏生山は法然寺の門前町として発展し、今も法然寺に至る道筋は、昔の佇まいを残している。 高松市の常盤橋を起点に南へ伸びる仏生山街道は、高松藩主が菩提寺へ参拝するために通った道で“お成り街道”と呼ばれていた。 その街道筋にあたる本町通には、円光寺辺りから南にかけて、古い商家や町家が残っていて、門前町の面影を見出すことができる。殿様を見下ろさない様に、2階を低くした中2階建ての家・虫籠窓の家・卯建をあげた家などが残っている。この辺りの道路が広いのは、門前町の造られたときに素麺屋が集められたので、素麺干しの場所であったためである。 かって街道筋には100軒余りの商家や旅館が軒を連ねていたというが、その賑わいはもう無くなっていた。 醸造酢の神埼屋や袖卯建の上がった呉服屋の天満屋は江戸時代の建物のままで営業されていて、天満屋は呉服の看板をあげたままで、ブテイックに変身していた。 香川県の歴史散歩 山川出版社 香川県の歴史散歩編纂委員会 1996 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和60年 四国小さな町小さな旅 山と渓谷社 山と渓谷社大阪支局 1999 香川県の地名 平凡社 下中 弘 1989 |
天満家呉服展 |
醸造酢の神埼家 |