安芸市土居廓中の町並み 
土居
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土居廓中の町並み
  安芸市は高知市の東約35km、土佐湾に面して太平洋を望むところに位置する。安芸城跡は市役所から北へ3kmほどのところ、「土居廓中」とよばれる地域にあり、安芸氏代々の居城跡で安芸川の流れに沿った所にある。
ここにはじめて城が築かれたのは鎌倉時代の延慶元年(1308)安芸親氏によるといわれている。以来、戦国時代末期まで安芸氏はここに居住していたが、永禄12年(1569)四国統一の軍を進める長宗我部元親との合戦に敗れ、城主安芸国虎は自殺、家臣は四散した。
天正13年(1585)長宗我部元親によって四国統一が成し遂げられたが、同年秋に豊臣秀吉による四国平定により長宗我部元親は土佐のみの領土となってしまった。長宗我部氏による土佐支配は約30年続いたが、慶長5年(1600)関ヶ原の戦い後、土佐は新領主山内一豊氏のものとなった。新領主山内一豊は大高坂山に新城を築き、高知城と名づけて、土佐支配の府にした。安芸城には家臣五藤為重氏がに入城した。そして元和元年(1615)の一国一城令により山上の城は取り壊され、五藤氏は山麓に居住し、家臣団も城外の廓中に集住した。
こうして土佐藩の安芸奉行の初代五藤為重氏から、10代正身ののとき明治を向えた。
廓中のたたずまいはそれ以来のもので、約40戸の武家屋敷がある。それぞれの役に応じた屋敷が与えられ、廓中武家屋敷が成立したようである。現在も地形は昔のままで、碁盤目状の路地に土井竹・うばめ樫・玉垣、土塀などで区画され、簡素な書院造り風の家や門などが落ち着いた雰囲気を醸し出し、江戸の昔そのままの佇まいである。土塀も瓦や石を練りこんだ石混練塀であったり、瓦混練塀であったりする。
家々の屋敷はおよそ100坪から250坪位で広さに差があり、追手口である南側には与力や騎馬の上級武士の広く大きい屋敷が、北側の馬場付近には下級武士層の少し小さな屋敷があった。
素読所(学問所)や米蔵、練兵場も南側にあった。素読所の向かい側の堀を渡ったところに枡形がつくられていた。桝形を入ると左側に武家構えの屋敷があり、土居廓中の主、五藤家の子孫が現住している。歴史がそのまま生きているのである。
現在残る建物の古いものは天保ころ(1830)と推定されている。その中の一つで武家屋敷の野村家が公開されている。主屋は切り妻造りで妻入りの平屋建、瓦葺である。与力、騎馬として五藤家に仕えた上級の家臣であった。家屋は幕末の建造らしく、一部改造されているが、間取り等は当時の武家様式が見られる。門は塀の内にも「塀重門」という門があり、敵の急襲を防ぐためや、美観などを含め二重構造となっている。
土居の南には「野良時計」で知られる畠中家がある。明治時代のこのような時計台は、札幌時計台がよく知られているが、これらは専門の技術者によって作られたものであるが、この土居の櫓時計は、一人の機械文明に憧れた青年の好奇心が作りあげたものである。いまでは全国に僅かしか残らない貴重なものとなってしまった。
町並み指数 50
参考文献    
  高知県の歴史散歩  山川出版社  高知県高等学校教育研究会  1996年
  四国小さな町小さな旅  山と渓谷社  山と渓谷社大阪支局  1999年
  安芸市立歴史民俗資料館図録  安芸市立歴史民俗資料館  安芸市教育委員会
  角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  昭和61年
  町並み・家並み事典  東京堂出版  吉田桂二  平成9年

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土居廓中の町並み

土居廓中の町並み

土居廓中の町並み

土居の野良時計
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