愛南町一本松は愛媛県の南端、高知県との県境に近く、松田川の支流篠川の上流域に位置する。 江戸期は宇和島藩領。平成大合併までは広見と云ったが、大合併時に広見が広見と一本松に分離され役場のある辺りは一本松になった。今回訪ねたのは一本松に名称変更された場所。 広見村の村高は「慶安郷村数帳」では96石余、「元禄村浦記」「天保郷帳」ともに139石余、「旧高旧領」340石余。湿原地のため用水池を築き、宇和郡内でも水田の多い村であった。「大成郡録」によると家数34・人数172、牛10・馬14。物産としては製蝋が盛んであった。宝暦7年(1757)の家数50・人数261とあり、弘化3年(1846)の記録では高281石余、家数89とあり、近世中期以降に大きく発展を見せたようだ。 明治40年代以降、一本松は郡内第一の養蚕村と云われ、その中心は広見地区であった。養蚕は一本松村の農業経済を支える柱であった。日露戦争後には桑の植付け面積も大幅に増えたが、昭和初年の金融恐慌による不景気で養蚕業は大打撃を受け、大きく衰退する道を辿った。 今、古い町並は一本松の旧宿毛街道沿いや旧街道に交差して山間部に向かう道沿いに展開している。 平屋建て・中2階建て・2階建てと雑多な建て方であり、妻入り平入りと混じり統一感は無いが、多くは明治以降の建物だろうと思われる。商家風の建物も点在する街道筋の町並であった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和56年 愛媛県の地名 平凡社 下中邦彦 1980年 |
一本松の町並 |
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