由布市は大分県のほぼ中央部に位置し、由布院町湯平は由布市中央部の西にあり、大分川支流の花合野川流域にあり、古くから湯平温泉として多くの湯治客が訪ねていた。 江戸時代は元和8年(1622)の「小倉藩人畜改帳」をはじめ、「正保郷帳」「見稲簿」「天保郷帳」「旧高旧領」等にも湯平は見えず、「豊後国志」に畑村の枝村として最初に登場する。そして寛永9年(1632)の「由布院之内御蔵納御物成目録」に「湯ノ平村」と見え、正保2年(1645)の「由布院畝高帳」にも見られる。 延享5年(1748)の「速見郡五ヶ村温泉書上帳」に「畑村枝郷湯之平」のことが記されている。それによると湯平には他所からの湯治客があり、春は400人内外、秋は150内外、年に540人〜550人位が来ていたとある。 これらの湯治客の湯元は延岡藩領にあるが、人家は湯平と花合野川を隔てた対岸の幕府領花合野にもあり、客屋も双方にあったので、旅人は勝手次第で好きな方に泊まっていた。 湯平には宿屋10軒があり、花合野にも10軒ほどの宿屋があり、両村が一体となって湯平温泉場を形成していたようだが、花合野の宿屋は概して家造りも良くて、上客は花合野の方に泊まっていたようだ。 花合野川の渓谷の渓流に沿って石畳みの細い坂道が続く、その両側に多くの旅館がひしめいて建っている。現在のような温泉街の骨格が出来上がったのは江戸後期で、工藤三助と云う人が石畳みを造ったのがきっかけという。それ以来、湯治場として発展を続け、別府に次ぐ豊後の名湯として君臨していた。明治期の2度の大火からの復興時にも石畳みが取り壊されることなく、石畳みの道を中心として町並みが復興し現在に至っている。 由布院や湯布院とややこしいが、明治22年に速見郡湯平村・北由布村・南由布村が発足。明治32年に速見郡から大分郡の所属郡変更、昭和11年北由布村と南由布村が合併して由布院村となる。昭和23年由布院村が由布院町となる。昭和25年速見郡から大分郡になる。昭和30年由布院町と湯平村が合併して湯布院町となり、平成17年に湯布院町・挟間町・庄内町が合併して由布市となる。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和55年 大分県の地名 平凡社 平凡社地方資料センター 1995年 |
由布院町湯平の町並み |
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