屋久島町吉田は鹿児島県南部の海上に浮かぶ薩南諸島の一つ屋久島の北部に位置する集落である。 文禄4年(1595)太閤検地の際、種子島氏の支配を離れ、慶長17年(1612)以降、鹿児島藩の直轄地となる。「薩藩政要録」によると長田村の小村。「三国名勝図会」では屋久島の本村の一つで、属村に宮之浦・一湊.・志戸子・楠川・小瀬田・船行・安房の7ヶ村があった。 村高は「天保郷帳」では187石余、但しこの高には小村の7ヶ村の高も含まれていた。「旧高旧領」・「三州御治世要覧」では共に89石余、人数は78名。背後に山地をひかえ耕地の少ない割に村高は多い。全て板瓦用の杉の小板である平木で納めていた。 伊能忠敬の「九州東海辺沿海村順」では、近世初期と同様に小村七ヶ村を持つ本村として扱われており、家数21。 屋久島の杉の利用開発は江戸期に始まるとされ、建築用の木材として注目されていて、島内の木材の大部分が鹿児島藩の専売で、杉の平木は私売りを一切禁じられていた。 今、集落の様子は海岸沿いの農漁村という感じである。でも近くに漁港が無いので4km程離れた一湊漁港で活動していると思われる。集落の家屋は平屋建ての板囲い・瓦葺きの家で、この集落でも石積が多用されていて、なかなか見ごたえのある集落であった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和58年 鹿児島県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1998年 |
吉田の町並 |
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