雲仙市国見町神代(こうじろ)地区は島原半島の最北部に位置し、北は有明海み面している。 豊臣秀吉による九州仕置に伴う国割によって神代郷は鍋島直茂の領知となった。慶長13年(1608)直茂は鍋島信房に当郷を譲ってからは佐賀藩領神代鍋島領となる。三代茂顕の時までは佐賀に居て代官支配としたが、四代嵩就のときに旧鶴亀城の傍の西神代村小路(くうじ)に陣屋を置き、ここで家臣と共に住するようになった。西神代村内だが、行政的には神代町として扱われた。神代鍋島氏は佐賀藩の家老格として230余名の陪臣を擁し、神代鍋島領の徴税権や裁判権も持つ、独立的な知行形態を見せていた。 町人町は陣屋となった館から海辺にかけてを町域とし、島原街道に沿って川東・川西集落からなっていた。(町人町については別に記載) 小城下町の武家屋敷群は神代丙の神代小路(こうじろくうじ)に展開している。神代小路は横町小路・本小路・安光小路・上小路・今小路にわかれている。城跡の森と堀を兼ねた神代川・みのつる川に隔てられて、今でも江戸時代の区割や石垣・生垣などの町割りが良く残っている。自然石を用いたもの、加工した石を使った石垣、土用竹を用いた端正な生垣、石を用いた土塀、その奥に見える主屋など、歴史の風格を感じさせる町並みが展開していた。その中でも圧巻は、神代鍋島家の主屋・長屋門とその前の石垣だ。建物の5棟は国指定の重要文化財になっていて、石垣は上部が丸くなった切石積みの塀で約30mに亘って通路両側に備えられているが、訪ねたときには長屋門と隠居棟の修復工事が行われていた。 なお、平成17年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定され整備がはかられていた。 長崎県の歴史散歩 山川出版社 佐賀県高等学校教育研究会 1996年 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和62年 長崎県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 2001年 |
神代小路の町並み |
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