都農町川北は宮崎県中部、都農川流域に位置し、東は日向灘に面している。 江戸期は高鍋藩領で、地方支配の野別府六郷のうち川上郷(六村)と都濃町(町場)から成っていた。「旧高旧領」では川上村とみえ3,867石余。 「日向地誌」の著者平部氏が当村を調査したのは明治11年6月で、同書によると村の規模は東西約3里・南北約2里18町、戸数1,021・人口5,047、牛580・馬1,849、和船53とあり、村内の集落別戸数は篠別府46・新別府16・今別府13・新田38・分子12・福原尾31・都濃町155・立野25……と都農町がダントツに戸数が多く町場であったことが判る。この「日向地誌」では都農町を川北村の一字地としているが、江戸期の高鍋藩に於いて都農町は町方支配を受け、在方の川北村とは区別されたいた。明治22年の宮崎県令17号にも都農町と川北村を合併して都農村とするとしており、行政上は川北村に含まれていなかった。そして大正9年から都農村は都農町となり、川北は都農町の大字となった。(只、都農町は川北の一大字から成り立つので都農町=川北である) 明治24年の川北の戸数は862・人口4,742とある。 今回訪ねたのは都農村になる前の町場の都農町の辺りである。今でも都農町の中心地に変わりない。旧日向街道に沿って町並みが展開している。少し前までは商店街を展開していただろうと思われる町並だが、大型の商店が郊外や国道10号線沿いにできたため、今では殆どの商店は店を閉じて、旧街道に沿った住宅街になってしまっていた。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和61年 宮崎県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1997年 |
川北の町並 |
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