玉名市大浜町は熊本県北部、菊池川河口左岸に位置し、有明海に面している。 正徳年間(1711〜16)以前から浜村が改称され、大浜町とよばれ町場が形成されていた。江戸期を通じて熊本藩領、小田手永に属していた。町高は「旧高旧領」1,622石余。 寛永12年(1635)の地撫帳には大浜村と見える。寛永期(1624〜44)と推定される肥後領高人畜家数船数調によると船37、うち14艘は250石から150石積の帆が7端から5端の大きさで、23艘は漁船、水夫は155人であった。元禄年間(1688〜1704)の諸御郡高人畜浦々船数其外品々有物帳には船74・水夫155とある。 近世中期以降、高瀬町の外港として廻船問屋の建ち並ぶ在町に発展し、「国誌」には上町・中町・下町などの道筋があり、町並の長さは6町32間、家数346とある。 在町としての成立は享保(1716〜36)頃から明和元年(1764)頃と見られる。天明6年(1786)には大浜持船8艘が菜種や大豆の船荷を扱っている記録が残る。 廻船問屋には大坂屋・長崎屋・伊勢屋、荷受問屋には俵屋・油屋・綿屋などがあり、11艘の廻船が運航していた。江戸中期には土砂の流入によって川底が浅くなり高瀬港への大型船の入港が難しくなり、3km下流の大浜河口が急速に港町として機能し、当町の廻船業は一段と盛んになった。住民の多くは海運業の仕事にかかわり、特色ある港町を形成していた。 しかし、江戸期に栄えた港は、明治期になり藩政が崩壊し回米が無くなったので船運が急速に衰え活気を失った。 「郡村誌」によると、明治11年頃の家数350・人数1,654、牛20・馬126。船は200石以上2、50石以上14、50石未満荷船7、漁船20、渡し船1。民業は農業205・漁業12・荒物屋9・大工職8、旅籠屋5、桶職4、酒造4……などなどであった。 明治7年から浅草海苔の技術を模倣した海苔の養殖が大浜で始まり、有明海でのノリ養殖業が始まり、現在に引き継がれている。 今、古い町並を歩くと廻船業で栄えていた当時の面影が色濃く残っている。廻船問屋だっただろうと思われる白漆喰塗り込め・まなこ壁の大型家屋が多く残り、当時の賑わいを彷彿させている。 何度も大火に見舞われているようで、大型家屋は土蔵造りと言われる周りを白漆喰で塗り固めた家屋で、強い防火意識があったのだろうと思われる町並だった。 角川日本地名大辞典 角川書店 、 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和62 熊本県の地名 平凡社 下中邦彦 1985年 「くまもと歴は町50選」 WEB書籍 熊本県 2013年 |
大浜町の町並 |
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