薩摩川内市下甑町手打の町並み
下甑町手打
地図


下甑町手打の町並
 薩摩川内市下甑町手打は東シナ海に浮かぶ甑島列島の南部の下甑島の最南部にある手打湾に面して集落が展開している。
文禄4年(1595)島津氏は領内諸家の所領移動を行い、甑島の領主であった小川有季が田布施(現南さつま市金峰町)に移され、13代370年余り続いた甑島での治政は終わった。後は島津氏の直轄地として代官政治を経て、慶長16年(1611)地頭政治となり、下甑島にも手打村に地頭仮屋が置かれ、地頭が回勤した(甑島には3ヶ所の地頭仮屋が置かれ、手打村の他は里村・中甑村で地頭が順に移動して勤めた)。下甑村役場跡(現薩摩川内市役所下甑支所)が地頭仮屋の跡である。
手打湾を挟んで遠見番所・津口番所が置かれていた。
文化7年(1810)家数419とある。伊能忠敬の「九州東海辺沿海村順」によると家数として手打村172・下甑村28・浜之市浦219とあり、いずれも当村のことと見られる。
手打湾の湾曲に沿って集落が展開する。その東側半分が麓集落で旧役場や郵便局・小学校・歴史民俗資料館などがある。西側半分が「在集落」で農業集落である。東端の津口番所辺りが浜集落で漁業者が多く住むと大雑把に分かれている。
今回訪ねた主目的の武家屋敷の麓集落は浜に沿った集落の東半分を占めている。約700m程の長さ、海岸線に沿った一本道の両側で、玉石垣が積み上げられその上に生け垣が綺麗に刈り込まれた麓の町並みが展開していた。
薩摩藩の外城制度の武家集落(麓集落)は鹿児島県内各地に残っているが、どの麓集落を見ても、石垣・生垣など当時の面影が色濃く残っているのには驚く町並み探訪だった。
町並み指数  60  
参考文献
   角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  昭和58年
   鹿児島県の地名  平凡社  (有)平凡社地方資料センター  1998年


下甑町手打の町並

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下甑町手打の町並

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