佐賀市川副町大詫間は佐賀県南東部、筑後川河口の大三角州。筑後川とその支流早津江川に挟まれた島の南半分を占める。 佐賀本藩領。大詫間村の村高は「天明村々目録」「天保郷帳」には見えず、「旧高旧領」では1,116石余とある。 寛永年間(1624〜44)のころ干潟が進み、その頃に佐賀城下の武器商人武富氏が干拓を進め、25町は佐賀藩に、12町は鍋島家家老深堀家に献上されたという。その後も土砂の堆積と干拓により南へ陸化が進んでいった。 明治11年戸口帳によると家数273・人数1,549であった。明治43年の調べでは家数398・人数2,303で、職業(兼業)は農業215(85)・商業30(26)・工業16(16)・漁業29(59)・雑業6とあり、船舶日本型72石積1・小回船2・漁船84であった。 この地には、ヨシ葺きの「クド造り」(漏斗谷造り)の家が多く残っているとの情報で訪ねたもの。 方形の屋根の中央が漏斗状にへこみ、そこに溜まる雨水を大型の瓦の筧で排水する構造の、この地方独特の農家建築で、幕末から明治初期にかけて建てられたもの。 この大詫間にも多くの「クド造り」の農家建物が残っているが、道を歩いている状態では、漏斗状になった姿が確認できず、「クド造り」だなあと推測するだけであった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和57年 日本の地名佐賀県 平凡社 下中邦彦 1980年 |
川副町大詫間の民家 |
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川副町大詫間の町並 |
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