大村市玖島は大村湾の東岸で、湾の最奥部に位置する。良港に恵まれ、諸国の商船と貿易が盛んであったと伝え、海草・貝類も多く、特に真珠貝は江戸期大村藩第一の名産であった。 大村は慶長4年(1599)大村喜前が地内玖島の地に築城し、城下町を形成したことに始まる。上級武士に割り当てられた五小路(北から草場小路・上小路・本小路・小姓小路・外浦小路)、その南東部の丘陵地(久原2丁目)及び城の南の海岸に面した所に、中下級武士の屋敷が割り当てられた。 町人町は片町・本町・田町・水主町と大きく4ッに分けられたが、後にはもっと多くの町が起立成立した。江戸末期の大村の様子を描く「大村郷村記」によると、武家屋敷は167軒(安政3年)、町人地は671・人数は2,199とある。 長崎街道は武家屋敷の東側丘陵地を通り、大村宿は本町を中心として関係施設が置かれていた。吉田松陰の「西遊日記」に「大村に至れば町口の左右に土塁を築き……」と続き、「これより水主町・本町と続き、この境の石橋の南側に門・番所が置かれ、足軽二人づつ勤務していた。内田川に架かる鶴亀橋を渡ると片町となるが……、また右折すると商家が並ぶ諫早丁が続く。……」とある。本陣・脇本陣は本町に置かれていた。 さて、今回訪ねたのは武家屋敷群の中でも五小路と呼ばれる上級武士屋敷跡の町並みである。城の東側に位置し、石垣で囲まれた大きな屋敷に立派な家屋が建ち並んでいる。只一部の保存建物を除いて、建て替えられているのは致し方のないことだろう。 しかし、通路に面した外観は石垣や生垣で整えられ、電柱が無ければ江戸時代そのものの様だった。 偶然、訪ねた日は天気の良い日だったからかも知れないが、海と丘陵地と大変風光明媚な所で、古い歴史に育まれた地域、この様な所でのんびりしたいなあと思うが、大都会の刺激は……と全てが良いと言う訳には行かない。 長崎県の歴史散歩 山川出版社 長崎県高等学校教育研究会 1996年 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和62年 長崎県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 2001年 歴史の町並み再発見 葦書房 読売新聞西部本社 1993年 |
玖島2丁目の町並み |
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