大川市向島の町並
向島
地図


向島の町並
 大川市向島は福岡県南西部、筑後川左岸、花宗川最下流右岸に位置する。もとは筑後川の中州であった。
向島村の江戸はじめは柳川藩領、元和6年(1620)からは久留米藩領。村高は「元禄国絵図」では無高、「在方諸覚書」では2,960石、「天保郷帳」には記載がない。「旧高旧領」では上下に分かれ、上向島村1,578石余、下向島村1,633石余。向島村は実質的には上・下に分かれていたが、正式に分村したのは明治に入ってからである。
宝暦元年(1751)羽犬塚町(現筑後市)の娼妓を向島村南西部に移し、若津町が成立し、今迄からあった右馬之蒸(若津湊の別名)が整備された。若津湊は水運の基地として利用され、江戸中期には藩米倉庫をはじめ幕府領豊後日田郡から長崎廻送の公米倉庫などが設置された。
町は筑後川に沿って浦町と本町が並列し、町の東部と西部に御番所(向島定番)があった。若津湊は築後米・菜種油などの積出港として機能し、藩内廻船問屋の倉庫が建てられていた。中でも藩御用聞手津屋の活動は著名で、その蔵は手津藏と称された。幕末に藩は洋式軍艦を購入し海軍基地も若津港に置いた。
明治4年に上・下村に分村されたが、明治9年再び合併し向島村となる。明治17年の家数620・人数2,949。若津町では明治12年の家数498・人数1,935とある。
昭和10年に架設された旧国鉄佐賀線の鉄道橋、筑後川昇開橋は向島と筑後川対岸の佐賀市諸富町を繋ぐもので、今は国の機械遺産に認定され、遊歩道としても昇開して船の航行もできるようになっている。
大川市の古い町並は中心地の榎津や小保辺りと認識されているが、向島にも結構古い町並や古い形式の家屋が残っている。若津港が賑わい繁栄していた名残や余韻と思われる町並だった。
町並み指数    30  
参考文献
  角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  昭和63年
  福岡県の地名  平凡社  (有)平凡社地方資料センター   2004年  


向島の町並

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三潴銀行記念館
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