大宜味村津波は沖縄本島北部、西海岸に位置し、東シナ海と山地に挟まれた僅かな平坦地に立地している。 江戸期はじめは羽地間切、康熙12年(1673、延宝元年)田港間切、17世紀末頃からは大宜味間切のうち。「高究帳」に羽地間切津波村と見え、石高30石余のうち、田25石余・畑4石余。「由来記」では大宜味間切津波村と見える。江戸末期には製塩も行われ、道光6年(1826、文政9年)には貢祖3貫532文を納めている。 家数・人数は明治13年111・581、明治36年154・835。昭和30年183・740。昭和52年121・342とある。 海沿いの集落ですが、漁村という雰囲気ではなく、大正期から近年までは茶栽培が盛んであったが、現在はパイナップル栽培が盛んに行われている。 集落内にはフクギも多く、殆どの家はコンクリートブロック塀で囲われている。平屋建て寄棟で、屋根はコンクリート瓦で葺かれている。コンクリートブロック塀が比較的高いのをみると、東シナ海からの風雨が強いのを避けているのだろう。集落内を歩き回ったが、誰一人としてお目にかからなかったのはちょっと寂しい気分だった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和61年 日本の地名沖縄県 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 2002年 |
津波の町並 |
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