那覇市は沖縄半島南部に位置する県庁の所在地であり、首里金城は旧首里城の南の台地傾斜に広がる地域である。 慶長14年(1609)島津侵入により琉球王国時代は終わり、琉球は薩摩藩を直接の管理者として幕藩体制の一環に位置づけられた。だが王国体制は温存され、中国との外交関係も存続し、政治都市・首里、経済都市・那覇として発展していった。 首里金城と首里が冠称されたのは昭和31年でそれまでは金城村であった。金城村は首里城の南の斜面に広がる眺望の良い地域で、首里城築城と共に城下町として古くから発展したところ。 首里金城石畳道は旧首里城正面右の石門から識名を経て沖縄本島南部へ通じる真珠道で、築造は16世紀にさかのぼる。18世紀以降真和志間切識名村に造られた王家の別荘識名之御殿への国王御幸の道となり石畳みも整備された。石畳道の途中で交差する平坦な村道の両側には、中層武士の屋敷が連なっていた。 家数・人数は明治13年469・2,240、明治36年463・2,205。昭和45年471・1,766。昭和52年725・2,346。 昭和20年沖縄戦当初の3〜4月にかけて、他の地域に先駆けて米軍の焼夷弾で焼き尽くされ、遮蔽物の無い裸の町となった。そのため日本軍の隠れ場がなくなり、その後の猛攻撃から免れ、焼け跡に屋敷囲いの石垣などが大方残り、昔の城下町の面影を忍ばせる石畳道が今に見られる。 眺望の良い石畳道の両側に琉球サンゴ石灰石の石垣が高く積まれ、琉球王府当時の国王の別荘への御成道の様子を彷彿とさせる。 この石畳みを登り切ったところの、首里城辺りは観光客でごった返していたが、一歩この石畳道に入ると、観光客も殆ど来ない静かに探索できる素晴らしいところだった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和61年 日本の地名沖縄県 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 2002年 |
首里金城町二丁目の町並 |
首里金城町二丁目の町並 |
首里金城町二丁目の町並 |
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首里金城町二丁目の町並 |
首里金城町二丁目の町並 |
首里金城町二丁目の町並 |
首里金城町二丁目の町並 |
首里金城町二丁目の町並 |
首里金城町一丁目の町並 |