長崎市の町並み  
東山手町・南山手町
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東山手のオランダ坂
 長崎は戦国末期までは寒村であったが、元亀2年(1571)ポルトガル船がキリスト教の布教と貿易を目的に来航し、交易をはじめるようになったので、長崎はキリスト教布教の根拠地として、多くの宣教師が往来し、各地に教会も建てられた。
天正15年(1587)九州を平定した豊臣秀吉は、キリスト教の追放令を出したが、貿易は制限しなかったので、スペイン船も来航するようになり、長崎は一層の繁栄をはかった。
江戸幕府の鎖国政策により、寛永16年(1639)ポルトガル人の渡来が禁止された後、寛永18年(1641)にはオランダ商館が平戸から出島に移された。こうして長崎出島ではオランダと中国のみに限って交易が許され、鎖国時代を通じて外来文化を受け入れる唯一の窓口であり、それでもって栄えてきた町である。
安政5年(1858)にアメリカ・オランダ・ロシア・イギリス・フランスとの間に修好通商条約が調印されると、翌年長崎は開港され、長崎はそれまでの特権を失うが、最初の開港地の一つになり、新たに外国人受け入れの居留地を形成することになった。入江と海岸線を埋め立てて造成したのが梅香崎町・常盤町・大浦町・下り松町で背後の丘陵地を造成したのが東山手町・南山手町である。埋め立てられたところは直線的な道路と矩形の敷地が割り振られ、東山手や南山手では坂道や周回道路が巡らされ、港に向って開かれた敷地を確保している。この地割は現在もそのまま残されている。
平成3年にこの南山手町と東山手町が国の重要伝統的建造物群保存地区に選定され、活きた町並の保存が図られている。大浦天主堂・グラバー住宅・オルト住宅・リンガー住宅・ウォーカー住宅・東山手十二番館・東山手洋風住宅群など国宝1件、国の重文8件がなどが残されていた。 
町並み指数  50  
参考文献
  歴史の町並み再発見  葦書房  読売新聞西部本社遍 1993年
  長崎県の歴史散歩  山川出版社  長崎県高等学校教育研究会  1996年
  角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  昭和62年
  日本の地名長崎県  平凡社  (有)平凡社地方資料センター  2001年
  別冊太陽日本の町並U  平凡社  湯原公浩  2003年    


グラバー邸

南山手の洋風建築
 
南山手の坂道

大浦天主堂

東山手の洋風建築地域

東山手の洋風建築

東山手の町並

東山手の町並

東山手の洋風建築

東山手の洋風建築
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