本部町備瀬は沖縄本島北部、本部半島の北西端に位置し、集落は備瀬崎西部の砂丘地に立地している。しかし、かって備瀬村は東方のグスク山付近にあり、のち現在地に移動し、現在の海洋博記念公園の中のエキスポランド一帯から小浜村が移動し、両村が合併して現在の備瀬集落が形成されたと考えられている。 江戸期はじめ今帰仁間切、康煕5年(1666)伊野波間切、同6年から本部間切のうち。 (間切は琉球王国時代の行政区で都道府県の様な単位ですが、区割りは市町村のようなもの。又、康煕5年(1666)は日本本土では寛文6年に当たる琉球王国の年代区分) 「高究帳」には今帰仁間切ひし村とみえ、「由来記」では本部間切備瀬村とみえる。 備瀬村は三方海に囲まれ、風波が起れば雨のように海水が降るため、防風・防潮林が必要であるため、家の周りにフクギが植えられ、それが並木になっているもの。フクギはオトギリソウ科の木で、フィリッピン原産の常緑広葉樹で沖縄が北限と云われている。 約500年ほど前の南蛮貿易時代に東南アジアから移植されたもので、防風林として沖縄各地の集落・民家を風・潮の被害から守ってきた。その中でもここ備瀬集落のフクギ並木は規模も大きく立派で、300年以上と推定される物もある。 フクギに囲われた民家は殆どが建て替えられていて、古い伝統的な建物は殆ど見られないが、集落中央辺りに赤瓦を乗せた氏神様の建物が目に付いた。集落は海岸に沿った一本の道から左右に枝を伸ばしたような道に沿って構成されていて、規則正しい町割り形態であった。フクギ並木として立派なフクギの並木が続くが、肝心の家屋はフクギに隠れて殆ど見えない状態でだった。 今、「備瀬のフクギ並木」として、沖縄県北部の観光地「海洋博記念公園」に続く観光名所にしようと努力されている姿がみられ、多くの観光客が並木通りを散策していた。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和61年 日本の地名沖縄県 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 2002年 |
備瀬集落のフクギ並木 |
備瀬集落のフクギ並木 |
備瀬集落の民家 |
備瀬集落の氏神様 |
備瀬集落のフクギ並木 |
備瀬集落のフクギ並木 |
備瀬集落のフクギ並木 |
備瀬集落のフクギ並木 |
備瀬集落のフクギ並木 |
備瀬集落の民家 |