宮崎市高岡町内山は宮崎県の中央部、宮崎市街から西北西に約10km、大淀川中流域の左岸(北岸)に位置する。 天正15年(1587)豊臣秀吉の九州仕置以後、この地は島津義弘の領地となり、内山城を天ヶ城と改称し、麓を高岡郷と命名して、関外四ヶ郷(高岡・穆佐・倉岡・綾)の本城とした。元和元年(1615)の一国一城令により廃城となったが、高岡地頭支配は江戸期を通じて行われた。地頭仮屋は現高岡小学校の地に置かれていた。 高岡郷・穆佐郷・倉岡郷・綾郷の四ヶ郷は鹿児島薩摩藩領東目の防御の要とされた。江戸時代を通じて鹿児島薩摩藩領。 寛永13年(1636)の人数支配覚書によると高岡で人数9,665人、穆佐で人数1,693とある。高岡町は高岡郷の麓集落のうちに形成された野町で、五町村・内山村・飯田村にまたがっていた。 薩摩街道(日向街道)と大淀川の河川交通の要所として発展し、清水家や水間家などの河川交通を荷う商家が活躍していた。 今、麓集落は高岡小学校の前辺りに見られる。規模は大きくないが、石積や生垣などと共に門を構えた家も残り、麓集落と判る景色が展開していた。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和61年 宮崎県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1997年 |
高岡町内山の町並 |
高岡町内山の町並 |
高岡町五町の町並 |
高岡町五町の町並 |
高岡町五町の町並 |
高岡町五町の町並 |
高岡町五町の町並 |
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