宮崎市佐土原町上田島は宮崎県中央部西、宮崎市街から北へ約15kmの。一ツ瀬川の支流、三財川右岸に位置する。 天正15年(1587)豊臣秀吉の九州仕置以後、当地は島津豊久の領地となった。慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いで島津豊久は西軍に属し戦死したことから一時徳川幕府の直轄領となった。その後、慶長8年(1603)には島津征久(以久)の領地となり、以後江戸期を通じて鹿児島薩摩藩の支藩佐土原藩領のまま明治を向かえる。 寛永2年(1625)、2代藩主島津忠興は広大な城郭の管理に困難を感じて、山上にあった城を山下の二之丸に移して歴代の本城とし、上田島村にその城下町が建設され、城の周りの大手口・鴫之口・十文字口・野久尾口の4口に武家屋敷が配置された。300軒以上の町家がある町人町は大小路・万陀羅小路・十文字・上中小路・下中小路・納屋町・五日町・八日町・新町の9町が形成され、上田島村は城下町として繁栄した。 武士は城下に集住したものと、外城(郷)に分かれていた。万延元年(1860)の記録では、藩士1,247人のうち693人が城下士であった。 しかしこの城も明治2年の藩庁舎の下田島村広瀬への移転に伴って取り壊され、士族・商人などの多くも広瀬に移住し、当地の城下町は廃毀されたため、現在佐土原小学校の近くに堀跡が僅かに残っているだけで、城下町の名残や武家屋敷などの遺構も殆ど残っておらない。 古い町並み求めてこの地を訪ねたが、殆ど遺構が残っておらないのにびっくり。中野家の塀と門が資料によると残っているとのこだが見つけられず、商家資料館旧阪本家の外観を見ただけに終わってしまった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和61年 宮崎県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1997年 |
佐土原町上田島の町並 |
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