宮古島市平良松原の町並 
平良松原
地図


平良松原の町並

 宮古島市平良松原は沖縄本島の南西約315kmに位置する宮古島の西部海岸の中央部、宮古島市街から南西に約2.5km程のところに位置し、西は与那嶺湾に臨む。
近世はじめは平良間切、のち砂川間切のうち。「両島絵図帳」では平良間切松原村と見え、石高は1,036石余。隣の久貝村と併せて野崎と総称されていた。
慶長16年(1611)「琉球国都之島平良間切松原村検地帳」では人数454人、馬28・牛31などと記載されている。
人数・家数は明治13年156・759、明治36年172・959とある。
宮古島は第2次世界大戦で地上戦こそなかったが、艦砲射撃や爆撃で壊滅状態に陥った。上陸作戦があるとの噂により、宮古島全体は混乱に巻き込まれた。上陸こそなかったものの、相次ぐ爆撃に加え、食糧難からくる栄養失調、非衛生的な壕生活・墓生活を強いられる中で風土病のマラリアが流行し、病死者が続出した。
戦争が終わり平和を取り戻したものの、価値体系の崩壊・一面の焼野原・衣食住が底をつき・伝染病の蔓延。加えて復員軍人・軍属・動員解除者・疎開引揚者等によって人口は70,000人にも膨れ上がった。
人々の英知と不屈の精神力でもって、この未曾有の大混乱を克服していった島民の方々の努力はどれ程のものだったか計り知れない大きなものであっただろう。
今、松原集落内を歩くと、赤瓦の沖縄らしい寄棟建物が多く見られる。艦砲射撃にも合わずに良かったなあと思ってみていると、どうもそうではないようである。建物は鉄筋コンクリート造りで屋根のみが
伝統の赤瓦を漆喰で固めたもの。終戦後の木材不足時に建てられた住宅のようだ。
防風林のフクギも、琉球石灰岩の石垣も、目隠しのヒンプンもし、魔よけのシーサーも見られない集落ですが、平屋建て寄棟造りの赤瓦の漆喰固めの屋根だけで沖縄が演出できている集落光景だった。
町並み指数 40
参考文献   
  角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典、編纂委員会  昭和61年
  日本の地名沖縄県   平凡社   (有)平凡社地方資料センター   2002年

平良松原の町並

平良松原の町並

平良松原の民家

平良松原の民家

平良松原の町並

平良松原の町並

平良松原の民家

平良松原の民家

平良松原の町並

平良松原の民家

平良松原の民家

平良松原の民家
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