南さつま市笠沙町片浦(大当)の町並み
笠沙町片浦(大当集落)
地図


笠沙町片浦(大当)の町並

 南さつま市笠沙町片浦の大当集落は薩摩半島西南端に突出した野間半島の北側に位置する石垣集落である。屈曲の激しいリアス式海岸で、海岸沿いの一部しか平地がない急傾斜の集落である。
片浦港は天然の良港で「三国名勝図会」では、「凡そ港中の入り半里、港口の横幅六町許り、深さ18尋ありて、大船数百艘繋を得べく、実に本藩の良港なり、又港口の西岸に一小湾ありて、舟船を停むるに好き処あり、其の西岸上人家多し、通商の唐船逆風に遭へる時、此の港の泊繋すること往々あり」。とあり片浦港は藩内でも有数の良港で、片浦を母港とする船が盛んに商業・海運業を営んでいた。
片浦港には津口番所が置かれ、船舶の出入りを改め、異国船監視のため遠見番所も片浦の北の岬、高崎鼻近くに設けられていた。
江戸時代は片浦村は薩摩藩直轄領加世田郷内の一村で、上村・小浦・椎木・仁王崎・片浦・大当・高崎山の集落があった。
伊能忠敬の「九州東海辺沿海村順」では家数514、うち本村102・片浦190・野間屋敷23・大当46・平八重23・小浦130とある。「加世田名勝志」では竈数130(郷士21・百姓109)、人躰720(郷士147・百姓573)。幕末頃の加世田再撰史では竈数123(衆中27・百姓76・下人20)、人躰897(衆中273・百姓516・下人108)。なお以上の竈数・人躰には片浦浦・小浦浦を含んでいない。
南さつま市笠沙町片浦の大当集落は100万個もの自然石を積み上げた石垣集落である。同じ石垣を積んだ武家屋敷の麓集落の石積とはチョット様相が異なる。石垣を積んでその上に植栽して生垣を造るためでもない。高さから見て防風対策の為でもない。
石垣は急傾斜の土地に宅地を造るための土地造成のために積まれているのである。
この石垣が何時頃から積まれだしたかは定かでないが、自然石を集めて石垣を造りながら、集落が傾斜地の上へ上へと拡張して行ったのだろう。
集落の様子から漁業を主とした集落であったのだろう、宅地の面積が小さいことから稲作・果樹・茶も栽培されているが零細な規模のようだ。
訪ねた当日は大雨の最中で、酷い時には雨宿りを繰り返しながらの探訪だった。天気が良ければ眺望が良いだろうとなあと思いながらの探訪だった。
町並み指数  60  
参考文献                              
   角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  昭和58年
   鹿児島県の地名  平凡社  (有)平凡社地方資料センター  1998年 
   歴史の町並み再発見  葦書房  読売新聞西部本社編  1993年  

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