南阿蘇村吉田は阿蘇南郷谷、中央火口丘南麓、白川の上流右岸に位置する。 吉田村の江戸期は熊本藩領、村高は「寛永郷帳」「正保郷帳」共に829石余、「天保郷帳」961石余、「旧高旧領」1,404石余。高森手永に属す。「南郷事蹟考」では高1,174石余。当村のうちに新町(吉田新町)がある(肥後国地誌)。「肥集録」には当村とは別に吉田新町が記されているが、「天保郷帳」「旧高旧領」などは同町を当村に含めている。 高森手永の会所は初め高森に置かれていたが、いつの頃からか吉田新町に移され、南郷谷地域の政治・経済の中心地の一つ、南郷谷内を商圏とする在郷町として発展した。 吉田新町の明治6年の家数98・人数366とある。 最近熊本県が発表したWEB書籍「くまもと歴町50選」を見て訪ねたのですが、期待したほど重厚な家屋や古い町並が残っていなかったが、寒冷地のためか屋根材にトタン貼が多かったことに気付いた。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和62 熊本県の地名 平凡社 下中邦彦 1985年 「くまもと歴町50選」 WEB書籍 熊本県 2013年 |
吉田の町並 |
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