水俣市浜町は熊本県南端で水俣川・湯出川両河口の三角州に位置する。 江戸期は熊本藩領。浜村の村高は「寛永郷帳」181石余、「正保郷帳」でも同高。「天保郷帳」193石余、「旧高旧領」199石余。寛永10年(1633)の「人畜改帳」では高181石余、人数556人、家数194。「肥後国誌」では水俣手永に属し、「水俣郷 浜村」と見え、高181石余。 水俣川河口付近の浜村・陣内村は薩摩街道の宿駅として、また港町として商工業の発達した在町であった。 江戸時代初期には浜村と丸島の間は海だったが、馬刀潟新地などの干拓地が造成されて、村域が拡大し、人口も増加した。同時に江戸時代の特産である水俣塩が干拓地で生産され、明治18年には塩田面積30町4反、従業人口48人となり、塩は水俣の特産品として薩摩や島原方面に出荷された。 明治40年にカーバイト会社が設立され、明治41年にはカーバイト会社が発展して日本窒素肥料株式会社となり、水俣は日本窒素の企業城下町として大きく発展して行った。 浜町1丁目〜2丁目には旧薩摩街道(旧国道3号線)が通り、沿道は市でも最も繁華な通りであったので、今でも一部古い町並や旧家が残っている所が見られる。その中でも圧巻は浜町2丁目の徳富蘇峰の生家である。寛政2年(1790年)の建築で、創建年のわかる町屋造としては、県内最古で歴史的価値も高い建物だが、それ以外に伝統的な様式で建てられた古い建造物は殆ど見られなかったのは残念な町並探訪だった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和62年 熊本県の地名 平凡社 下中邦彦 1985年 |
浜町2丁目の町並 |
浜町2丁目の町並 |
浜町2丁目の町並 |
浜町2丁目の町並 |
浜町2丁目の町並 |
浜町1丁目の町並 |
浜町1丁目の町並 |
桜井町の町並 |