久留米市城島町城島は筑後川下流で山ノ井川との合流点左岸の平坦地に位置する。 大部分は海抜4m程度の低湿なデルタ地帯で、無数のクリーク網が走っている。 慶長6年(1601)筑後に入国した田中吉政は重臣宮川讃岐守十丸を城島城番とした。元和6年(1620)有馬豊氏が久留米藩主になると、城島城は廃され、城島から榎津(現大川市)に通じる街道(肥後街道)筋の在郷町となった。 榎津番所支配下の城島遠見番所と、住吉遠見番所(現久留米市)支配下の城島川手下番所が、山ノ井川が筑後川に合流する字内茂手にあった。又、穀留番所も設けられていた。 この地の物産は酒造・瓦・和傘である。 酒造は天明8年(1788)酒造家が5軒・1,820石。享和2年(1802)酒造家5軒・1,075石。文化2年(1805)酒造家6人・1,175石。文化2年(1805)の在郷町別酒造高では領内3位であった。明治8年には醸造高3,000余石となっている。瓦は御用瓦師の後藤・大石・荒巻の3家が瓦の製造販売を行っていた。和傘も「江上がさ」で知られる和傘も特産品だったが、洋傘に押されて衰退してしまった。 宝永年間(1704〜11)の家数79・町数4町30間であり、大庄屋の役宅や富商の家や蔵が並んでいた。 今、町並みを歩くと造り酒屋の屋敷群が古い町並みとして残っている。白漆喰で塗り固められた土蔵であったり、板囲いの酒蔵であったりするが、伝統的な様式の家屋の多くが造り酒屋さんの家屋である。造り酒屋さん以外の伝統的な様式の家屋は極く少ないようだが、妻入り入母屋造り2階建ての昭和初期に建てられたような家屋が多く見られた。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和63年 福岡県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 2004年 |
城島の町並み |
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