国頭村伊地は沖縄本島北部の西岸、東シナ海を臨む所、伊地川下流右岸に位置する。 絵図郷村帳に国頭間切「いち村」と見える。琉球国高究帳に村名は見えない。「琉球国由来記」では伊地村と記されている。 真王の時代には首里城下の建設に伴う建築用材を供給し、近世になってからは山林が開墾され、山林の荒廃が進んだ。18世紀前半頃になると、沖縄本島で美林が残るのは羽地・大宜味・久志・国頭の僅か4間切になってしまった。 雍正6年(1728 享保13年)三司官となった蔡温は、農山村の産業基盤を固めるため、植林の奨励を行い、国頭間切においては乾隆元年(1736 元文元年)造林と巡見が行われた。 家数・人数は明治13年37・187、明治36年49・257。 首里・本部その他の地域から、銅山鉱夫または藍作りのために移住したものが多い。かっては木材・薪炭の切だしを生業とするものが多かったが、今ではサトウキビやパイナップル栽培が多くなっている。 集落内の民家はコンクリートブロック塀に囲われ、コンクリート瓦を屋根に乗せている。僅かに沖縄独特の赤瓦の家も見られるが、雨漏り対策で痛々しいほど漆喰で塗り固められている。小さな集落であり平屋建て寄棟の真四角な家屋が殆どだった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和61年 日本の地名沖縄県 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 2002年 |
伊地の民家 |
伊地の町並 |
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