菊陽町原水は熊本県北部、菊池郡南部に位置し、北の原水台地、南の白水台地の合間を白川が西流し、白川中流域で白川によってつくられた河岸段丘の北側。 今回訪ねたのは菊陽町原水にある「鉄砲小路」と呼ばれる生垣集落です。東西約4kmにもわたり県道311号線に沿って植えられた生垣は、住民の意志によってできたもので、所有者各人が手入れをして景観を保っている見事な生垣集落です。地方自治体の街路樹じゃないのが見事です。 鉄砲小路は寛永12年(1635)当時の藩主細川忠利の命により創設された大規模な地筒(地鉄砲)の集落です。その狙いは、非常の場合に備えての軍備強化であり、未開墾地の開拓であった。また、幕末においては当時の社会問題だった浪人対策の一環とも云われています。 「鉄砲小路」として観光地化になりつつありますが、もともとは「屯田兵集落」を作ったのでしょう。屯田兵とは兵士を遠隔地に派遣して、平素は農業を営むかたわら軍事訓練を行い、いざ戦いが始まった時には軍隊の組織として戦うことを目的とした土着兵のことです。 この鉄砲小路の地筒部隊が実際に参戦した記録も多く、寛永14年(1637)島原の乱、嘉永6年(1853)ペリー黒船来航時の浦賀詰め、慶応4年(1868)鳥羽伏見の戦いなど、明治10年の西南戦争まで数多くの出兵記録があります。 集落の各屋敷の間口は普通15間であり、道路を挟んで北側は住居、南側は作業場となっているのも特筆されることである。 薩摩藩に多くある麓集落の町並程度と思って訪ねた。でも薩摩藩ではないのでとチョット疑問を持っての訪問だった。江戸初期に造られた目的は薩摩藩と同じ様な理由で、形態もよく似たものだが、この3.6kmにも及ぶ直線状の生垣集落。創設時から現代まで受け継がれて維持されているのには驚く。住民の皆様の強い団結力や意志がなければ、とても維持できるものではない。ここに住む住民に感謝感謝の探訪だった。 今も創設時そのままに、見事な生垣が続くのは道路の北側のみで南側には殆ど生垣がない。集落内にあった説明板をみて納得の探訪。帰って調べると、祝祭日には各戸に日の丸の旗をあげているそうで、延々と続く整備された生垣に、何本もの日の丸の旗がたなびく姿は、日本人として誇りに思える光景だろう。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和62 熊本県の地名 平凡社 下中邦彦 1985年 「くまもと歴町50選」 WEB書籍 熊本県 2013年 |
原水の町並 |
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