糸島市前原地域は福岡県の西端、雷山川の左岸に位置する。 江戸期の前原村は福岡藩領。村高は「慶長国絵図」597石余、「正保郷帳」669石余、「元禄国絵図」669石余、「天保郷帳」1,231石余、「旧高旧領」747石余。元禄元年(1688)の家数78・人数529、享保2年(1717)の家数86・人数517、牛馬25。人家は上町・下町・筒井原・新屋敷・尾頭に分かれていた。天明5年(1785)には家数127・人数584、馬80とある。 唐津街道の宿駅であるが、慶長年間(1596〜1615)頃までは、民家は街道筋ではなく、舞岳山麓の本村にあるのみであった。貞亨年間(1684〜88)福岡藩主黒田光之が舞岳山麓より人家を移して、当地を宿駅とした。御茶屋(本陣)・町茶屋(脇本陣)・代官所・郡家・問屋場などが置かれ、町は街道両側及び横町から成っていて、商業の中心地で商家や酒屋などが多数集まっていた。 明治初期の家数176・人数779、馬56で、物産は米・麦・大豆の他に菜種・生蝋・蝋燭であった。 明治24年の家数591・人数3,023とあり、明治期の町並は東西に通じる唐津街道沿いと横町・新屋敷のみであったが、その後明治43年の新県道、昭和3年の駅道、昭和8年の古湯新道の開通によって、町並が大幅に変化していった。 今、旧唐津街道を歩いてみると、開発の波に呑まれているが、伝統的な様式の古い建物が所々に点在している。大都会福岡市中心部博多まで頻繁に走る電車で約40分、よく残っている古い町並と考えざるを得ない。でも残っていたのは前原中央3丁目の旧唐津街道沿いの約300m程のみであった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和63年 福岡県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 2004年 |
前原中央3丁目の町並 |
前原中央3丁目の町並 |
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