飯塚市内野は江戸期の長崎街道に設けられた筑前六宿の一つ内野宿である。 長崎側は冷水峠越えで山家宿、小倉側は飯塚宿であった。 慶長17年(1612)福岡藩主黒田長政の命で、家老の毛利但馬と土豪出身の内野太郎左衛門によって宿駅が創設された。参勤交代・鎖国時代でも開港されていた長崎のオランダ商館・長崎奉行・幕府高官などの往来で繁栄していた。その様子はシーボルト、ペンケルの記述や伊能忠敬、吉田松陰などの日記に残っている。只、内野宿に付いては百数十戸が焼失する大火が何度も有り、古い資料が殆ど残っていないので、筑前六宿中一番不明な宿場であるが、番所・構口・本陣(お茶屋)・脇本陣・馬継所・郡屋・代官所・制札所などがあったとされている。 内野宿の名産として内野葛がある。賞賛を受けて将軍家への献上品とされていた。 明治初期の家数266・人数1,372とある。 今、当時の宿場町の雰囲気はよく保存されているが、お茶屋(本陣)跡を初めとして、当時の宿駅施設などは残っておらない。 難所の冷水峠を控えた宿場だから、旅籠の数は多かったと思うが、今では大型で妻入りの重厚な家屋も見られるが、町並みの中に空地が多く、当時の面影は雰囲気だけしか残っていなかった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和63年 福岡県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 2004年 歴史の町並み再発見 読売新聞西部本社 同社学芸資料課 1993年 |
内野の町並 |
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