日向市細島の町並み
細島
地図


細島の町並

 日向市細島は宮崎県北部にある日向市街の東の細島半島にある。細島半島は中央部で二つに分かれ、その南側の北面に位置する。その間の入海に天然の良港細島港がある。
江戸初めは延岡藩領、元禄5年(1692)からは幕府領で日田代官支配地。
日向灘に面した港で、中世には対外貿易の中継港として、近世には諸大名の参勤交代の江戸出府の際の出入港地として発展し、日向国の商業・漁業の中心地でもあった。天保9年(1838)の家数431(本百姓322・水呑百姓109・他)・人数2,214。安政5年(1858)の家数448・人数2,110。
町内には元禄5年(1692)から元文2年(1737)まで日田代官所の陣屋が置かれていた。港口には遠見番所が設置され、番人2人が詰めて外国船の漂着や毎日出入りする船の監視にあたっていた。
細島港が大きく発展するのは近代に入ってからで、明治10年に始まった西南戦争で、官軍の軍艦が細島港に入港し、西南戦争の主戦場となった。
明治10年に関西方面への定期航路が開始され、神戸〜細島港間を二日半位で航海した。明治17年には大阪商船会社が開業し、隔日に汽船が大阪から就航し、明治30年以降は6隻が毎日出港となった。
大正10年には臨港線鉄道が開通し、大正12年には日豊線(現JR日豊本線)の全通によって細島港の輸出入は激増した。
また、大正12年には日本窒素肥料(現旭化成)の延岡工場設立に伴う貨物輸送が増大し、昭和2年には第2種重要港湾に指定されるなど、今の細島港の発展に繋がっている。
今、古い町並みは古くからの細島港に面した南岸で見られる。新しい道が港に沿って造られてが、その道の一本南側の古い道に沿って細島小学校の東に展開する。西南戦争の官軍の西郷軍征討総本営となった摂津屋の建物も残っている。旧高鍋屋旅館は木造3階建ての建物だ。
平入り妻入り、中2階建て2階建て、切り妻造りの古い伝統的な建物が点在する町並みだ。また、広い道から山側に延びる路地道には漁村集落の住宅が密集した光景も見られた。
町並み指数  40  
参考文献
   角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  昭和61年
   宮崎県の地名  平凡社  (有)平凡社地方資料センター  1997年


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