人吉市大畑町の町並
大畑町(おこばまち)
地図


大畑町の町並

 人吉市大畑町は人吉盆地南方、笠置山北麓の球磨川支流鳩胸川上流域の山間部に位置する。
江戸期は人吉藩領、村高は「寛永郷帳」「正保郷帳」共に188石余、「天保郷帳」251石余、「旧高旧領」973石余。宝暦・明和年間(1751〜72)頃の家数99のうち諸奉公人8・寺家1・修験道1・郷士50・百姓15・又百姓10・町家12とあり、人数424であった。
郷士が半数を占めているのは人吉藩では、薩摩藩同様に外城制をとっていたためで、因みに人吉藩には14の外城があり、それぞれ数人の家臣が居住し、領地と領民の支配を行っていた。兵農分離がなされておらず、半農半兵の無給郷士が人口の1/3を占めていた。
当村は日向や薩摩への交通上の要地であるため、中世以来大畑城があり、江戸期には人吉藩の外城が設置され、その麓には郷士の居住する麓集落が形成されていた。また国境には改番所が置かれた。このような条件のため宿場が形成され、人吉ー日向・薩摩間の交易の中継点となり、商家も12軒を数える在町的性格を持っていた。
明治8年の「郡村誌」によると家数226・人数1,016、牛128・馬246とあり、米の収穫は少なく、もっぱら焼畑農業で、炭を焼き、麻芋・西瓜を作り、天然の桑を生育していた。船での運送はなく、牛馬での運搬で人吉まで2里余、日向国往来も行っていた。
予備知識無しにこの大畑町を訪ねてビックリした。江戸期の薩摩藩の支配地でないのにどう見ても麓集落だ。生垣や石垣の麓集落の模様は色濃く残っていて見栄えがするが、在町的な名残は探しても見いだせなかった。
町並み指数 30 
参考文献
   角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  昭和62
   熊本県の地名  平凡社  下中邦彦  1985年


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