平戸市大島村的山川内(あずちかわち)は平戸市街の北約15km、日本海に浮かぶ的山大島の西南部に位置している。江戸時代には堋村(あずち)と呼ばれ、南に広く開いた天然の良港で遣明船の風待港であった。小豆浦(あずちうら)とも呼ばれていた。 慶長9年惣目録(1604)には村名は見えないので大島村に含まれていたのだろう。「元禄郷帳」には独立した村として堋村(あずちむら)と記されている。 寛永2年(1625)の冬、播磨の横山甚五兵衛が的山大島で捕鯨を始めたとも、紀伊の与四兵衛が船20艘で銛の突取法による捕鯨を行ったという。 江戸期、享保5年(1720)成立の「西海鯨鯢記」によると、神浦同様、的山浦も捕鯨基地で活発に捕鯨を行っていたようだ。 明治17年の「長崎県北松浦郡村誌」によると、家数は166・人数は799、50石未満の漁船13とある。 古くからの漁村として路地の様な町並みは同じ大島村神浦と同様であるが、明治期に開発されたと思われる、少し広い道路に面した家屋には歓楽街独特の意匠を施した家も散見できる。 どうしてだろうと思っていると、先ほど乗った平戸市のコミュ二ティバスの運転手が、この辺りは漁師を相手とした歓楽街で、博多辺りからも船で多くの人が遊行に訪ねていたとのことだった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和62年 長崎県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 2001年 |
大島村的山川内の町並み |
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