日之影町岩井川の中心部は宮崎県北部、東西に流れる五ヶ瀬川と北から合流する日之影川の合流地点に位置する。 江戸時代を通じて延岡藩領であった。延岡藩主有馬氏の時代に高千穂代官所が岩井川村の五ヶ瀬川対岸の七折村舟の尾に設置され、寛政11年(1799)同村宮水に移転したが、江戸時代を通じてこの地が高千穂郷支配の拠点となっていた。 岩井川村は七折村同様、高千穂18ヶ村の一村で、宮水代官所の管轄下にあった。村高は「寛永11年(1634)差出」・元禄11年(1698)「日向国覚書」ともに165石余、延亨4年(1747)「拝領諸村高帳」では187石余、「天保郷帳」では215石余、「旧高旧領」では217石余。 明治2年の宗門人別調帳では家数172・人数1,258とある。「日向地誌」によると家数240・人数1688とある。主産物は茶・コンニャク芋・楮皮・しゅろ皮・酒・椎茸など。 明治から大正・昭和と延岡と熊本を繋ぐ道や、延岡と高千穂を結ぶ道が徐々に整備され、昭和60年には日之影バイパスの青雲橋も完成して交通状況は格段に良くなった。 鉄道は昭和14年に延岡〜日之影に国鉄日之影線が開通し、昭和47年には高千穂迄延長されて名称も高千穂線と改称された。 昭和30年と昭和31年に岩井川村と七折村や岩戸村の一部が合併し日之影町が発足し、今の場所に町役場が設置された。これら交通の便も相まって日之影町の中心地として発展し、今も商店街として機能し、この地域の行政・経済・文化の中心地となっている。 町並みを歩くと、特別目立つ古い伝統的な建物は見当たらない。殆どの建物は昭和中期から後期に建てられたものの様で、昭和の町並と云えるような町並を展開していた。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和61年 宮崎県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1997年 |
岩井川の町並 |
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