玉東町木葉は熊本県北部、玉名平野東部、木葉山南麓に位置し、南部を菊池川支流の木葉川が西流している。 近世は熊本藩領、内田手永に属する。元禄国絵図に「木葉村之内木葉町」とあり、木葉村から在町として分離していた。宝暦13年(1763)の下ヶ名寄帳には「木葉 木葉町」とあり、田32町7反2畝余・畠26町9反8畝余。 木葉町は「国誌」に「高428石余、府ヨリ四里二十四町、当町東ノ構ヨリ西ノ構迄三町五十四間」とある。 天保5年(1834)の手鑑によると家数60、酒造本手4・濁酒本手5、旅人宿6があり、五枚懸の高札場1ヶ所がある。 「郡村誌」によると明治11年頃の家数194・人数891、牛馬47。民業は農業42・焼物職12・旅籠屋・酒類受売屋各7・染物屋6・質屋5……であり、三池往還の在町・宿場町として機能していたようだ。 明治10年の西南戦争では徳成寺に野戦病院が置かれ、戦後の同年に日本赤十字社の前身の博愛社が当村土生野の肥田宅に設立されている。 町並は昔も今も三池往還に沿って展開している。西南戦争では薩摩軍と政府軍の兵士が戦った街道筋の町並である。街道筋に特別大型の家屋は見られないが、板張りの伝統的な様式で建てられた民家が連なっている。明治期以降に建てられた家屋と思われ、妻入りの家屋が多い町並である。旧は格子窓であっただろうが、今ではアルミサッシュに代わって入る。その分差し引いても見応えある古い町並が展開していた。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和62 熊本県の地名 平凡社 下中邦彦 1985年 「くまもと歴町50選」 WEB書籍 熊本県 2013年 |
木葉の町並 |
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