福津市畦町は福岡市と北九州市との中間、西郷川の上流域に位置する。 畦町村は福岡藩領。村高は「慶長国絵図」293石余、「正保郷帳」329石余、「元禄国絵図」329石余、「天保郷帳」330石余、天保年間(1830〜44)後は鳥巣村が当村内に属し「旧高旧領」では1,005石余となる。元禄5年(1692)の家数574。 畦町村に寛永19年(1642)唐津街道の畦町宿が設置さた際、隣村鳥巣村の人家を移し加えて宿駅が設けられた。北東方の赤間宿(現宗像市)と南西方の青柳宿(現古賀市)の間は約4里あり、中間点にあたる畦町村に休息と昼食の場所として宿駅が置かれた。 寛政5年(1793)の成立と推定される宗像郡明細帳によると鳥巣村を含む家数110・人数482とあり、職業別では商人79・大工7・桶屋7・紺屋2・木挽4・酒造家2・……とあり圧倒的に商人が多いのは、宿場の機能以外に地域の経済流通の拠点としての役割も担っていた。弘化2年(1845)の人数578、明治6年の家数140・人数680とある。 明治23年鉄道が開通し、宿場の機能を失い急速に寂れて行った。 今町並を歩くと、街道に面して家屋が建つ姿は、かっての宿場町の町割りだが、当時の面影は殆ど残っていなかった。そんな中でも、袖卯建を設けた大型の家屋など、比較的大型の家が街道に面して建っていたのが印象に残る探訪だった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和63年 福岡県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 2004年 |
畦町の町並 |
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