福岡市西区姪の浜は福岡平野西部、室見川の最下流左岸に位置し博多湾に面する。 江戸期を通じて福岡藩領。村高は「慶長国絵図」1,959石余、「正保郷帳」2,197石余、「元禄国絵図」2,197石余、「天保郷帳」2,518石余、「旧高旧領」2,241石余。元禄5年(1692)では家数480・人数3,605で町場があり、塩浜も33町あった。寛政期(1789〜1801)の家数572・人数2,512とある。 かっては塩屋が多い寂しい所だったが、徐々に村が拡大していった。小倉・福岡・唐津・長崎・平戸へ通じる唐津街道の宿駅で、筑前21宿の一つに数えられた。藩主や長崎奉行の往来に利用され、宿代官が置かれた。福岡藩主の別邸である茶屋(本陣)が置かれていた。 製塩が盛んで、元禄年間(1688〜1704)に塩浜奉行が置かれた。 明治初期の家数878・人数3,841。物産は米・大豆の他、海魚・塩・綿・売薬・種油・蝋燭・切石などであり、漁船85・小伝馬船4があり、通運会社と郵便取扱所もあった。 明治24年の家数700・人数4,364、大正5年の家数1,230・人数6,954とある。大正10年には家数2,684で農業141・漁業95・鉱業1,463・商業419などなど。 大正8年には帝国炭業会社が設立され、石炭業の隆盛に伴い人口が増加し、商業も著しく発達した。 今、旧唐津街道の姪浜宿だった辺りを歩くと、僅かだが当時を偲ぶ町並が残っている。内心はもう少し多くの伝統的な家屋が残っているものと期待して訪ねたが、古い町並として見られるのは極限られた小さな範囲だけだったのは残念です。 でも考えてみれば、九州最大の都市福岡市中心部から10km程の距離。地下鉄も延伸されてその駅前の立地。古い町並が残る方が不思議という地域で、これだけ連なって残っているので良しと見るべきであろうと思う。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和63年 福岡県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 2004年 |
西区姪の浜の町並 |
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