三重町市場は岡藩城下の竹田と臼杵を結ぶ街道の中間より少し竹田寄りに位置し、大野川の支流三重川上流の左岸に位置する。 慶長5年(1600)臼杵藩稲葉領となり、そのまま明治を向かえる。 臼杵藩の在町として栄えていた。臼杵と竹田岡城下を結ぶ道と、北から南に向かう日向街道が市場村辺りでは重なって通り、街道筋の町として栄えていた。古くから市場が形成され六斎市も開かれ、周辺地域からの物資の集散が行われていた。 享保〜文化期(1716〜1818)にかけて酒造・油〆・質屋・灰問屋・揚酒場・唐物交易などの商売が見られた。天明元年(1781)の門数87・人数423。享保20年(1735)大火により門数54・家数152を焼失。また安永5年(1775)門数54・家数157を焼失。 明治9年の家数101・人数589。大野郡村誌では農業69・工業18・商業73とある。明治12年の家数207・人数671。 古い町並みは、旧日向街道と旧臼杵・竹田を結ぶ道が重なっているところに展開する。 古い町並みは国道502号線と国道326号線の重複した部分西寄りの北側一本目の旧街道筋に展開している。平入り・妻入りで切り妻造りの町家が点在している。白漆喰で塗り込められた家屋も見られる。そんな中に醤油家の麻生家が公開されていた。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和55年 大分県の地名 平凡社 平凡社地方資料センター 1995年 |
三重町市場の町並 |
三重町市場の町並 |
三重町市場の町並 |
三重町市場の町並 |
三重町市場の町並 |
三重町市場の町並 |
三重町市場の町並 |
三重町市場の近代建築 |