佐敷町は古くから薩摩・肥後を結ぶ薩摩街道の宿駅として機能し、又球磨と天草を結ぶ水運の基地としても栄え、熊本藩の茶屋・薩摩本陣のさつま屋・人吉藩の仮屋などの他にも多くの宿があった。 江戸時代は熊本藩領で、肥後5ヶ町に準ずる扱いを受けた準町の一つであった。加藤清正の時代には佐敷城には城代が置かれ、城下町も整備されたが、廃城後は、旧城下町を基盤に、薩摩の産物や球磨の産物等の交易する在郷町として発展した。 細川氏の時代には佐敷番代の屋敷や郡奉行の屋敷などがあり、この地の政治・経済の中心であた。 寛永10年(1633)の人畜改め帳によると、佐敷町の屋敷数70・家数196・人数618。明治3年の佐敷郷御通筋御手鑑帳によると家数171・人数667とある。 古い町並は佐敷中学校のある上町辺りから相逢橋を渡り、橋の袂両側に展開している。数は少なくなっているが白壁の伝統的な家屋が残っていたり、復元されたり、補修されたりして古い伝統的な様式の町並を形成していた。 熊本県の歴史散歩 山川出版社 熊本県高等学校社会科研究会 1995年 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和62 熊本県の地名 平凡社 下中邦彦 1985年 別冊太陽 日本の町並U 平凡社 湯原公浩 2003年 |
佐敷の町並 |
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