奄美市笠利町外金久は奄美大島の北部、前田川河口右岸に位置する集落である。 江戸期は鹿児島藩直轄領。笠利間切の赤木名方のうちでの赤木名村といい、「大島私考」で赤木名方は辺留・須野・宇宿・万屋・節田・平・赤尾木・芦徳・里・赤木名の10ヶ村からなるとあり、赤木名村は高386石余とある。明治初年に赤木名村は中金久村・外金久村に分村している。 この地方(笠利)で元禄期頃から砂糖製糖が始まり、砂糖での貢祖も認められる程まで製糖が普及した。そして天保元年(1830)に砂糖専売制度が実施され、製造した砂糖はすべて藩の倉庫に納めさせ、密売は死罪で取り締まった。また、笠利は大島紬の生産地として知られ、大正6年には18万9,247反・340万6,446円と産出金額は砂糖より大きくなった。 外金久の港は明治期以降多くの商人が入り込み、汽船の出入りが多く大繁盛したという。 今集落内の様子は、鹿児島薩摩藩の武士であり農家である麓集落の様な感じで、コンクリートブロック塀と生垣に囲まれた屋敷群が続いている。屋敷内の家屋は平屋建てトタン貼でこの地方の特徴を見せた家屋であり、生垣も綺麗に刈り込まれ、屋敷内の庭園の樹木も綺麗に剪定されているさまは、まさに麓集落そのものとの思いで散策した。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和58年 鹿児島県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1998年 |
笠利町外金久の町並 |
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