天草市河浦町崎津は天草下島の中南部に位置し、東シナ海に面した羊角湾の入り口に当たり、崎津天主堂のあるキリシタンの里として有名である。 崎津村は古くから港として栄え、永禄12年(1569)ルイス・デ・アルメイダが訪ね、キリスト教の布教活動を行っている。 寛文9年(1669)には通詞役人が置かれ、享保2年(1717)からは遠見番所、延宝元年(1673)には山方番役人が置かれるなど、江戸幕府の鎖国政策時の平戸・長崎での貿易・密貿易の監視などを行った。 天草ではキリスト教への弾圧も激烈を極めて改宗を迫り、寛永14年(1637)天草・島原の乱が起こったのは有名である。天草の江戸時代はキリスト教弾圧の歴史ともいえる程である。 宝暦11年(1761)の村明細帳では家数、本百姓15・無高水呑漁師102とある。万延元年(1860)の家数は233・人数1,321。 天保4年(1833)の家数254・人数1,865。 港町と云っても、小さな漁村に過ぎなかったが、正保2年(1645)漁業権設定と運上取り立てのため定浦制が敷かれた。崎津村もその一つとなり、漁業では潤ったが、御用船に人を出す水主数も決められた。 明治9年の戸籍によると家数388のうち農104・漁259・商1・医1などとある。 明治に入りキリスト教弾圧が解かれると、諏訪神社下に仮会堂を建て、明治21年には崎津教会堂が完成した。今の崎津天主堂は昭和9年に建てられたゴシック風な建物。 古い町並みを求めてこの崎津に来たのであるが、静かなこの小さな漁村に建っているゴシック風建築。 一見似合わないと思えるが、この建物こそがキリスト教弾圧から逃れた隠れキリシタンの最高の喜びだったと思うと胸が詰まる思いだ。 町並みは天主堂への道筋の一部の土産物店を除くと、漁師町そのもので細い路地に肩を寄せ合った民家が密集している光景が見られる静かな漁師町だった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和62 熊本県の地名 平凡社 下中邦彦 1985年 熊本県の歴史散歩 山川出版社 熊本県高等学校社会科研究会 1995年 |
河浦町崎津の町並み |
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