石造りの住宅があると聞いて出かけた。姶良町東餅田で昔は帖佐松原と呼ばれていたあたりである。江戸時代は鹿児島藩直轄領で、吉田・蒲生・山田・加治木と共に帖佐には外城が置かれていた。地頭仮屋は今の帖佐小学校(旧鍋倉村)の敷地に置かれ、ここを中心に麓が形成されていた。 西餅田村・東餅田村にまたがる松原浦があり、古くから製塩業が行われていたようで、天明6年(1786)頃には既に塩作りに従事している記録がある。明治に入り製塩業が武士の授産産業として奨励され、この地域の重要な産業になった。 明治5年に塩田工事がはじめられ、本格的な製塩業がはじまったが、大正3年の桜島大爆発時の津波で塩田は壊滅してしまった。そこで大正6年から村営で復旧工事がはじめられ、大正13年には入浜式塩田32町歩を有する製塩場が完成し、帖佐村の財政を豊にしていた。 しかし昭和26年に鹿児島を襲ったルース台風により、決定的打撃を受け復旧することなく塩田の歴史を閉じてしまった。 海岸に近いこの地区では度々大火に見舞われていて、その防火のために石の住宅が建てられた。過っては50棟ほどの石の住宅があったが、今では20棟程になってしまい、年々取り壊されて無くなっていく。この地の人はこの石の住宅を「クライエ」と呼んでいる。製塩業の盛んだった明治中期から大正期に建てられたものが残っている。 石造りの建造物が多く残る鹿児島県で、わが国で最も古い石造り建築とされる磯公園にある尚古集成館や県立博物館考古資料館などは残るであろう。でも各地に散らばる石蔵や石の住宅・小屋などは日に日に少なくなっていく現状は寂しいものがある。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和 鹿児島県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1998年 歴史の町並再発見 葦書房 讀賣新聞西部本社 1993年 |
東餅田の町並 |
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