都留市上谷の町並 
上谷2〜5丁目
地図


上谷の町並
 都留市上谷は山梨県の南東部、山中湖に発して蛇行しながら北流する桂川中流右岸、山あいの平坦地に位置する。
谷村は戦国時代から、谷村城の城下町として発展していた。天正18年(1590)徳川家康の関東移封が決まると、甲斐へは羽柴秀勝が入国し、その家臣三輪近家が、天正19年(1591)加藤光泰の家臣加藤光忠、文禄2年(1593)浅野長政の家臣浅野氏重と谷村城主は目まぐるしく交替している。
慶長5年(1600)の関ヶ原の戦い後、浅野氏、鳥居氏と谷村城主と替わったが、寛永10年(1633)秋元泰朝が入封し谷村藩が成立した。秋元氏はその後三代にわたって谷村を支配し、谷村城下を整備した。しかし宝永元年(1704)武蔵川越へ転封となり谷村藩は廃藩とり、領内は幕府領となり、谷村陣屋が置かれた。
文禄3年(1594)に浅野氏が検地したときに、谷村城の大手門を境に上谷村・下谷村と設定したという。上谷村の江戸期はじめは谷村藩領、宝永2年(1705)からは幕府領(石和代官所)。村高は「慶長古高帳」528石余、「寛文九年甲斐国郡内領高辻帳」「享保郷帳」ともに629石余、「天保郷帳」640石余、「旧高旧領」631石余。
谷村藩主秋元氏の時代に城下町の整備が進み、富士道の両側に下谷村側から新町・早馬町・上町・上天神町・下天神町・袋町・裏天神町のどの町家が建ち並んだ。
上谷村の文化初年(1804頃)の家数285・人数1,346、馬30。産物は米・麦などの他栗・稗・大豆・野菜など。絹織物(郡内織)は寛永10年(1633)に入部した秋元泰朝の奨励と育成により生産が盛んとなり、元禄年間(1688〜1704)までに全国有数の産地に発展した。生産地であると同時に絹織物の集散地としても栄えた。
谷村城跡は現在の都留市役所ないし谷村第一小学校辺りと、また谷村陣屋は都留簡易裁判所あたりと推定されている。
今、古い町並は富士道沿い(旧国道139号線)に展開している。城下町・陣屋町として発展してきた町だが、在郷町として特に絹織物(郡内織)の集散地としての機能が強かった。街道に面して切妻造り平入の伝統的な様式で建てられた重厚な商家建物が点在する。絹の仲買問屋が軒を連ねていた。
そんな中の上谷3丁目に都留商家資料館があった。大正10年に絹問屋の仁科源太郎氏が建てたもの。瓦葺・平入・2階建ての土蔵造りの建物は重厚なものである。他にも土蔵造りの商家建物や平入・中2階建ての商家建物の家屋が点在し、城下町というより絹産業で栄えた在郷町の様相であった。
町並み指数 30
参考文献
   角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  昭和59
   山梨県の地名  平凡社  (有)平凡社地方資料センター  1995年        


上谷の町並

上谷の町並

上谷の町並

上谷の町並

上谷の町並

上谷の町並

上谷3丁目の都留市商家資料館

上谷の町並

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