千曲市桑原は長野県善光寺平の南部に位置し、千曲川支流佐野川流域の扇状地に位置している。 江戸期は松代藩領。桑原村の高は「慶長打立帳」732石余、「正保書上」764石余、「元禄郷帳」779石余、「天保郷帳」989石余、「旧高旧領」902石余。家数と人数は享和2年(1802)169・752、文化12年(1815)176・775、天保5年(1834)152・941、弘化5年(1848)241・963、慶応3年(1867)256・1139。 桑原ははじめ北国西脇往還(善光寺道)の宿場であった。北国西脇往還(善光寺道)は北国街道の篠ノ井追分から分岐して、稲荷山宿・桑原宿(間宿)を通り、猿ヶ馬場峠を越えて松本藩領を経て、中山道の洗馬宿に至る街道である。平時は西国の人々の善光寺参り、信濃以北の人々の伊勢参り・金毘羅参りで賑わっていた。 しかし、慶長〜寛永年間(1596〜1644)に宿役を稲荷山村に、市は桑原村にと分けられ、のちに市も稲荷山に移ったというが、猿ヶ馬場峠を控えており、間の宿としての役割をもっていて、伝馬役を勤めていた。 天明3年・4年に桑原宿で旅籠を営むものがあることから、稲荷山宿から訴訟となり、幕府の裁許で禁止されている。 今町並を歩くと、宿場町の雰囲気は残っておらないが、明治期に盛んだった養蚕業の名残が色濃く残る。大型家屋の屋根には空気抜きの小屋根が設けられている。養蚕業は全国各地で行われたが、この空気抜きの形態はバラバラで、大屋根の中央に空気抜きのあるのはこの地方独特のものと思う。 豪農と思われる家屋も見られ、袖壁を備えた白漆喰塗り込めの大きな家屋も多く見られた。 角川日本地名大辞典 角川書店角川 日本地名大辞典編纂委員会 1990年 長野県の地名 平凡社 下中邦彦 1979年 |
桑原の町並 |
桑原の町並 |
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桑原の伴月記念館 |
桑原の伴月記念館 |
桑原の民家 |
桑原の民家 |
桑原の民家 |
桑原の民家 |
桑原の民家 |
桑原の民家 |
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