新潟県の中部、出雲崎町の中心部から北東約15km日本海に面した海岸沿いに位置する。 寺泊は中世を通じて、北国街道の要地であり、佐渡渡海や上杉氏の軍用物資の移出入の湊町として発展してきた。上杉景勝は天正13年(1585)に兵粮輸送を寺泊・出雲崎に命じていることから、寺泊が相当大きな湊であったことが分かる。寺泊は佐渡への渡海場として多く利用されていたが、時代が下るにつれて、寺泊に代わり出雲崎がその任に当たるようになってきたが、中世を通じて、寺泊、出雲崎ともに海上交通の要衝として発展していた。 元和2年(1616)に幕府領、同6年三条藩領、同9年幕府領などと領主の変遷は多かったが、最後は桑名藩領で明治を向かえている。 関ヶ原の戦い後の慶長6年(1601)佐渡が幕府直轄領となり、相川に大鉱脈が発見されて活発な金銀山開発が進むと、渡海場としての寺泊の重要性は一層増すことになった。 18世紀の寺泊は、湊を出入する北前船などの増大に支えられて活況を呈した。元禄14年(1701)には家数496軒、人数2687人。寛保2年(1742)には家数567軒、人数3220人。そして寛政3年(1791)には690軒、人数3722人。文化10年(1813)には戸数843戸、人口4929人と順調に増加を見せ、19世紀に入って各地との交易が益々盛んとなり、西廻り海運の発達とともに湊が活況を呈していたことを窺わせる。 寺泊も出雲崎同様に妻入りの建物が連続して連なる。磯町から北に向かって坂井町、下荒町、荒町、上田町、大町、片町と続く。街道は僅かな曲りを繰り返しながら続いていて、切り妻造り妻入り、板張りの町並みで、間口が狭く奥行きが長いのは出雲崎同様であった。 新潟県の歴史散歩 山川出版社 新潟県の歴史散歩編纂委員会 1996年 寺泊町史 寺泊町 寺泊町史編纂委員会 角川日本地名大事典 角川書店 角川日本地名大事典編纂委員会 1989年 |
磯町の町並み |
坂井町の町並み |
荒町の町並み |
磯町の町並み |
下荒町の町並み |
上田町の町並み |