胎内市とは聞き慣れない地名だが、平成大合併以前は中条町と言った。胎内川扇状地で下越地方の北部で、城下町新発田と村上のほほ中間に位置し、宿場として発展した所。 江戸はじめは村上藩領であったが、寛永19年(1642)幕府領、正保元年(1644)村上藩領、宝永6年(1709)からは幕府領。 羽州街道・米沢街道の宿場町として発展した所で、人や物資の集散が市の発展に繋がった。中条市の起源は明らかでないが、寛政8年(1796)に黒川陣屋所在地の黒川村と市立てをめぐって争い、それに勝って繁栄に向かっている。中条市は3・8の付く日に開かれる六斎市であり、米・魚・野菜をはじめ、衣類・雑貨などが商われ、この市は近代まで続いていた。 正徳3年には家数83・人数404。桶屋・紙屋・諸売酒屋などがあった。天保9年(1838)では家数161・人数829。文久元年(1861)では家数183・人数1,078とある。 天保12年(1841)の「小泉蒼軒」の随筆では、中条町は子丑の間より午未の方へ長く続き民戸500ばかりあろうと記される。安政2年(1855)の絵図による当町内に上町・中町・下町がみえ、呉服太物・和漢薬種・菓子・清酢造・小間物・書物店など15軒、宿屋2軒がある。 火災の記録の大きいものは元禄6年(1693)と天明5年(1785)の2回、町内残らず焼失するとある。 今、古い町並みは旧羽州街道(米沢街道と重複)に沿って展開している。小刻みに屈曲した旧街道に沿った家並みは、リズム感があり見ていて好印象を与える。伝統的様式の大型商家建物が見られないが、2階建て平入り切り妻造り板貼りの町並みが続く。かっては商業の中心地だったのだろうが、今では旧街道沿いの住宅地と云う感じで、商売を生業としている家は極少数だった。 角川日本地名大事典 角川書店 角川日本地名大事典編纂委員会 1989年 新潟県の地名 平凡社 下中邦彦 1986年 |
東本町の町並 |
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