信玄の隠し湯として知られている下部温泉の更に奥に湯之奥集落がある。 江戸期の初めは幕府領、のち甲府藩領、享保9年(1724)からは幕府領(市川代官所)で明治を向えている。 慶安4年(1651)の村明細帳によると家数13・人数53。文化初年(1804頃)の家数家数18・人数73。村の規模は東西41町・南北45町ほど。 湯之奥金山は戦国期から近世初頭にかけて採掘が盛んで、山中に鉱山従事者が多数集住していた。湯之奥三千軒(内山村千軒・中山村千軒・茅小屋村千軒)と呼ばれ鉱山村の大集落があった。金の精錬所もあり、宮屋敷・寺屋敷・女郎屋敷などの金山にかかわる地名が残っている。 しかし、資源枯渇による金山の衰退で元禄年間(1688〜1704)には閉山してしまい、3集落とも廃絶した。 今、集落を西から東に延びる急勾配の敷石道の中ほどの北側に、入り母屋造り茅葺き屋根の門西家住宅があり、国の重要文化財に指定されている。また、この敷石道の両側の家並の景観は、日本の山村風景の代表と言っても良いほど良い景観であった。 門西家は江戸時代を通じて湯之奥金山や山林などを管理するほか、関守や名主役を勤めた家柄である。また、湯之奥村は門西家を中心とした集落で、集落の中心に大きな茅葺き屋根を見せている。 山梨県の歴史散歩 山川出版社 山梨県高等学校教育研究会 1998年 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和59 山梨県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1995年 別冊太陽日本の町並V 平凡社 湯原公浩 2004年 |
湯之奥の町並 |
湯之奥の町並 |
湯之奥の町並 |
湯之奥の町並 |
門西家住宅 |
門西家住宅 |
湯之奥の集落 |