渋温泉はリゾート地志賀高原の西側の山ノ内温泉郷の一つで、湯田中温泉と共に山ノ内温泉郷の中心的な存在。 寛政年間(1789〜1801)頃までは、湯田中村の温泉群は近郷農家の湯治場で、客は一部の旅客や行商人のみであった。湯宿客は宿で自炊しながら、外湯の大湯につかって話の花を咲かせていた。 文化年間(1804〜18)志賀高原渋峠を越える草津道と大笹宿を通る大笹道との間で、旅客や荷物の争奪が激しくなってきた。元々草津道は抜け道であったが、上州草津温泉から渋・湯田中を経て上信濃を結ぶ最短路として、商人荷物の流通・湯治客往来の増加が背景にあった。一応文政10年(1827)示談により解決した。しかしその後も草津・湯田中・渋〜善光寺という観光ルートが広まり、天保年間(1830〜44)から飯盛女も認められ、湯田中・渋・湯河原の温泉が栄えた。 明治26年に信越線豊野駅が開設され、豊野駅から乗合バスの便ができて利用客が増加した。その後、昭和2年には長野鉄道湯田中駅が開設され、国鉄長野駅からの直通ルートが完成し、豊野駅からの湯治客はすっかり減ってしまった。 渋温泉は夜間瀬川の支流横湯川の右岸に木造3〜4階建ての旅館が並び、大温泉街を形成している。3〜4階建ての続く温泉街の道は旧草津街道である。9ヶ所の外湯は昔のまま今でも健在で、宿泊客と地元民に解放されている。外湯の九湯巡りは九(苦)労を流し、念願成就、不老長寿の御利益があるとされている。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 1990年 長野県の地名 平凡社 下中邦彦 1979年 |
渋温泉の町並み |
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