慶長年間の初期、関ヶ原の戦い後、中山道宿駅整備の際、近在に散在する民家を集めて望月宿が成立した。当初望月宿は鹿曲川の右岸にあったが、寛保2年(1742)の大洪水で宿駅が流されてたので、その後、左岸の現在地に移転したもの。 宿長さ6町余りの宿でほぼ中央北寄り中山道の西側に本陣大森家、その北の東側に脇本陣鷹野家があり、その北に真山家があったが、本陣の跡には望月歴史民俗資料館が建ち、脇本陣の建物も改装されていたが残っている。真山家は国の重要文化財に指定されて残っている。 文化元年(1804)の宿割図には旅籠29・大泊御下宿分50・その他御下宿兼務の商売屋39とあり総数132軒を数える小規模な宿場であった。 天保14年(1843)の中山道宿村大慨帳では、宿長さ6町余り、家数82、人数360、本陣1、脇本陣1、旅籠9、問屋1とある。 今、町並みを歩くと、宿北部に国の重要文化財に指定された真山家、脇本陣の鷹野家と続き、少し南に本陣跡がある。本陣跡には前述の望月歴史民俗資料館と大森小児科医院が建っていた。 そして南に進むと街道は僅かに湾曲しながら坂を登り、望月宿にしては珍しい黒漆喰塗の建物辺りで宿は終わる。中山道沿いの町並みは袖卯建・連子格子・出桁造り・土蔵造りの町家が点在や連なり、往時の宿場町の名残を色濃く残していた。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 1990年 長野県の地名 平凡社 下中邦彦 1979年 長野県の歴史散歩 山川出版社 長野県高等学校歴史研究会 1996年 中山道歴史散歩 有峰書店新社 斎藤利夫 1997年 |
望月の町並み(脇本陣鷹野家) |
望月の町並み(奥の家が真山家) |
望月の町並み |
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