茂田井村は集落中央を中山道が通り、望月宿と芦田宿の中間に位置し、間の宿の機能を有し、両宿の補助的役割を担っていた。 江戸時代初めは小諸藩領、元和8年(1622)徳川忠長領、寛永元年(1624)から小諸藩領で明治を向かえる。 宝暦2年(1752)の家数90、宝暦10年(1760)の人数758とある。上質の米を産出する故、小諸藩江戸屋敷の飯米を上納していた。また水質も良く酒造業が2軒あった。天保8年(1837)領内酒米高書上帳によると名主 市郎右衛門は元禄2年(1689)に創業している。 間宿としての役割は、文久元年(1861)和宮御下向による26,000人の大行列の下宿となったり、元治元年(1864)武田耕雲斎の率いる水戸浪士天狗党1,300人の通過に際し、小諸藩士500人が当宿に宿泊している。 今、町並みは2軒の造り酒屋さんを中心に、白壁の土塀や土蔵・酒蔵が続き強烈な印象を与える町並みで、杉玉をあげた造り酒屋さんが並んでいる。一軒は武重本家酒造さんでもう一軒は大沢酒造さんである。共に江戸時代創業の造り酒屋さん。特に大沢酒造さんは古く元禄2年(1689)創業とある。 その他酒造以外の町並みも、余り宿場町の様な印象はなく、どっしりとした大型で重厚な主屋を構えた豪壮な家が連なっている。豪農が街道筋に屋敷を構えたような印象の町並みだった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 1990年 長野県の地名 平凡社 下中邦彦 1979年 中山道歴史散歩 有峰書店新社 斎藤利夫 1997年 |
茂田井の町並み |
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